大山 日出男
HIDEO OYAMA
1956年福岡県、博多に生まれる。
11歳のころよりクラリネットを始め、15歳でアルトサックスに転向。東京芸術大学サキソフォン科を卒業後、ビッグバンドを中心に活動を開始。
82年渡米。ニューヨークにてジャズの研鑽を積む。帰国後、原信夫とシャープス・アンド・フラッツのリードアルトとして活躍するがソロ活動に専心するため89年退団。
数々の名プレイヤーと競演するかたわら自己のカルテットを率いて都内、横浜などのライブハウスで演奏する。
92年ジャズヤトラ(インド)、95年コンコードジャズフェスティバル(アメリカ)に参加。また97年から2008年にかけて11回の韓国ツアーを成功させるが、現在は政治信条により中止。
1998年『アーバン・スィート』、2000年『ワンス・アイ・ラブド』、2001年『アジアン・モダニズム』、2002年『シルバー・ロード』、2005年『ソウル・アイズ』の5枚のリーダーアルバムをリリース。
2007年には新作『大山日出男カルテット』をリリース。当年の批評家投票においてベストテン入りを果たす。
またテレビ・ドラマの音楽を担当。
全編を自己のカルテットを用いアコースティック・ジャズを貫いて、好評を得た。
最近では自己のカルテットのほか、大山日出男セクステット、セプテット、また高瀬龍一セクステットでも演奏中。
古巣のシャープス・アンド・フラットでは、2010まで北海道から沖縄まで日本縦断ツアー。同バンドの一員として、日本ジャズ史上初めての皇居内での演奏を果たし、天皇皇后両陛下をはじめ皇族の方々の御前で演奏。終了後、両陛下と直接言葉を交わす栄誉に浴する。
執筆としては雑誌「THE SAX」へのジャズ講座連載も5年ほど継続。現在は現代的なアドリブに不可欠なペンタトニック・スケールに関しての講座が連載中。
2012年10月にはリットーミュージックより「ピアノ伴奏で吹くアルトサックス」を出版。
アルソ出版社」より「ジャズヴォイスの研究(仮題)」の出版も控えている。
レコーディング参加
- 1987年 「グリーン&ブルー」:モンキー小林&JJM(キング)
- 1989年 「ビッグバンド・ビッグボス」:原信夫とシャープス&フラッツ(ワーナー)
- 1998年 「アーバン・スイート」:大山日出男カルテット
指導のポイント
アンサンブル・レッスンの眼目
まず演奏家相互のリズムのアンサンブルに主眼を置く。
ベースとドラムスの共同作業としてのベーシックなリズムの構成。
その上にピアノによるコンピングにより、リズムセクションとしての音楽的構築の完成を目指す。
フロントはまず演奏すべき作品のメロディーを正確に表現することを忘れず、その後に独自性のあるフェイクとへと誘う。
ジャズの演奏で最も興味深いと思われ、非常に困難な即興演奏においては、過去の名演奏家のリック(ジャズにおける日常会話語)を獲得することに重きを置き、必要な場合には参考になる演奏のトランスクライブは欠かせない。
しかしながらアンサンブルは決して難しいものではなく、ジャズを大事に想う気持ちさえあれば目標の半分は既に達成しているものとの考えに立脚して指導する。
音楽的に進んだバンドは、メンバーの編曲によるスタンダードの新たな解釈、また最終的にはオリジナル曲の演奏も大いに奨励する。
・ミドル
サキソフォンのテクニックにおいては、アドリブソロに不可欠な、音色のコントロール、レガート、タンギングを研究する。また、2本以上の楽器ともサウンドさせるアンサンブルの技術を養う。
種々のジャズの曲を題材に、コード、ソロなどをアナライズ。
スモールグループでの演奏の基礎力をつける。とくに、リズム、ビートに関して重点を置く。
使用エチュード:マルセル・ミュールの24、18、Etc.
・アドバンス
音楽大学の学生と同程度のエチュード(ミュール53、ロワイオン、Etc.)で、独創的なソロへの可能性を探る。
スタンダード曲のアレンジメント、オリジナル曲の創作により、自己の表現の幅を広げる。